ベンチャー企業が事業を拡大していくためには、新しい従業員を採用していくことが必要です。もっとも、労務関係の法律や社会保険関係の法律は複雑で、その内容を把握することは簡単ではありません。そこで、今回はベンチャー企業が新たに従業員を雇用するにあたって、法的にどのような点に気をつけるべきなのか、そのチェックポイントをまとめました。
(1) 従業員を受け入れるにあたっての体制整備に関するチェックポイント | |
就業規則を作成する必要がないかを確認する。 | |
36協定の作成・届出を行う。 | |
労働者名簿及び賃金台帳を作成する。 | |
(2) 従業員の賃金等の条件に関するチェックポイント | |
給与が最低賃金法に違反していないか確認する。 | |
みなし残業代制を採用する場合には有効なものとなっているかを確認する。 | |
雇用後は労働時間を適切に把握して、割増賃金の支払いを行う。 | |
株式の付与はできるかぎり避けて、ストック・オプションの活用を検討する。 | |
(3) 従業員を実際に雇い入れる際のチェックポイント | |
労働条件通知書等を交付する。 | |
「誓約書」を提出してもらう。 | |
雇入れ時の健康診断を実施する又は医師による診断書の提出を受ける。 | |
(4) 社会保険等への加入に関するチェックポイント | |
労災保険に加入する。 | |
雇用保険に加入する。 | |
社会保険に加入する。 |
なお、いわゆるアルバイトやパートタイムは正社員と比べると労働時間や1週間の労働日数が少なかったりしますが、法的には正社員と同じ「労働者」として労働基準法等の適用を受けることになる点に注意が必要です。したがって、アルバイトやパートタイムを雇用する際にも基本的には同様のポイントを確認する必要があります。
それでは、各チェックポイントの内容を解説していきます。
目次
(1) 従業員を受け入れるにあたっての体制整備に関するチェックポイント
■就業規則を作成する必要がないかを確認する。
労働基準法上、常時10人以上の労働者を使用する使用者は、就業規則を作成して、労働基準監督署に届け出る義務があります(労働基準法第89条)。VCなどから投資を受ける際にこの点が未対応であるとの指摘を受けてあわてて準備をするベンチャー企業も多いため、事前にしっかりと準備を進めておく必要があります。具体的には、以下のような流れで就業規則の作成・届出等の手続を進めていくことになります。
①就業規則を作成する。
②従業員代表の意見を聴く。
③労働基準監督署に届け出る。
④従業員に周知する。
なお、就業規則を一度作成したのちに変更することももちろん不可能ではありませんが、従業員に不利益な内容に変更しようとする場合には原則として従業員の同意を得ることが必要となります(労働契約法第9条参照)。そのため、最初に就業規則を作成する際には、社労士や弁護士等にも相談するなどして、必要以上に従業員に有利な内容となっていないか等を確認した方が安全です。
■36協定の作成・届出を行う。
従業員に残業や休日労働をしてもらうためには、あらかじめ労使間で36協定を締結し、労働基準監督署に届け出る必要があります(労働基準法第36条)。36協定は、従業員に法定労働時間(1日8時間・1週間に40時間)をオーバーして働いてもらったり、法定休日(1週間に1日)に働いてもらう場合には必ず必要となります。残業や休日労働がみなし残業代の範囲に収まっているからといって、36協定が不要になるわけではない点に注意が必要です。
■労働者名簿及び賃金台帳を作成する。
使用者は、各事業場ごとに法定の事項を記載した「労働者名簿」及び「賃金台帳」を作成して、一定期間保存しなければなりません(労働基準法第107条~第109条)。このような「労働者名簿」や「賃金台帳」は、雇用している従業員の人数に関係なく作成する必要があります。「労働者名簿」及び「賃金台帳」の書式は、厚生労働省や東京労働局のホームページからもダウンロードすることができます。
参考:様式集(東京労働局)
(2) 従業員の賃金等の条件に関するチェックポイント
■最低賃金法に違反していないかを確認する。
従業員に対して支払う1時間あたりの賃金が最低賃金法に違反していないかを確認する必要があります。最低賃金には、各都道府県ごとに定められた「地域別最低賃金」と特定の産業を対象に定められた「特定(産業別)最低賃金」の2種類があり、両方適用される場合には高い方以上の金額を支払わなければなりません。具体的な最低賃金の金額は、下記のサイトより確認することができます。
■みなし残業代制を採用する場合には有効なものとなっているかを確認する。
ベンチャー企業では残業の有無にかかわらず一定の残業代をあらかじめ固定で支払うというみなし残業代制(固定残業代制)を採用している企業も多いです。特に残業代請求などの裁判が提起された場合には、このようなみなし残業代制の有効性が争われることがあるため、あらかじめ有効性が認められる内容となっているかを慎重に確認する必要があります。具体的には、以下のような点に注意が必要です。
① みなし残業代の対象となる労働時間は、36協定で届け出た労働時間を延長できる範囲を超えないものとしておいた方が安全である。
② みなし残業代を時間や割合で算定するルールとなっている場合でも、労働条件通知書、雇用契約書等において具体的な金額を算出して明示する。
③ 就業規則(賃金規程)がある場合には、就業規則(賃金規程)にもみなし残業代制についての規定を設けておいた方がよい。
④ みなし残業代が充当される対象(時間外労働、休日労働、深夜労働)を明確にする。
⑤ 従業員の現実の労働時間に基づき算出した残業代がみなし残業代分を超えた場合には差額を支払う旨を明記した上で、運用する。
上記のようにみなし残業代制はあくまで一定の範囲の残業代をあらかじめ固定で支払うという制度であるため、みなし残業代分を超えた残業が行われた場合には差額の支払を行う必要がある点に注意が必要です。すなわち、みなし残業代制を採用した場合でも従業員の労働時間は適切に把握する必要があります。
外回りの仕事であるためそもそも労働時間を把握しがたい、専門業務であるため業務遂行の手段や時間配分の決定等について従業員の裁量に委ねる必要があるといった場合には、事業場外のみなし労働時間制や専門業務型裁量労働制を適用できないかを検討することになります。
■雇用後は労働時間を適切に把握して、割増賃金の支払を行う。
従業員が、時間外労働、休日労働又は深夜労働をした場合には、法令の定める割増率に従った割増賃金を支払う必要があります(労働基準法第37条)。賃金請求権の消滅時効は2年間であることから(同法第115条)、少なくとも過去2年間の未払賃金の有無はIPOの際にも重要な審査項目の1つとなるため、従業員の労働時間を適切に把握して割増賃金の支払を行う必要があります。
労働時間の把握方法については、厚生労働省の「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関する基準」が、(i)従業員の労働日ごとの始業・終業時刻を確認し記録すること、また、(ii)原則として使用者自らによる現認又はタイムカード、ICカード等による客観的記録により始業・終業時刻を確認すること等を指示しています(自己申告制による場合には一定の措置を講じる必要があるとされています。)。
なお、労働基準法上、①管理・監督者の場合、②事業場外労働制を採用した場合、③いわゆる裁量労働制を採用した場合など、割増賃金の支払について一定の例外が認められています。ただし、これらの制度は、採用するための要件を満たしているのか、採用をするための手続がきちんと行われているか等について問題が生じることも多いため、社労士や弁護士等にも相談するなどして慎重に検討をした方が安全です。
参考:労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関する基準(厚生労働省)
■株式の付与は可能な限り避けて、ストック・オプションの活用を検討する。
よくベンチャー企業の社長から「あたらしく雇用する従業員から会社の生株が欲しいと言われているのですが、与えてもよいでしょうか?」といったご質問を受けることがあります。しかし、株式は従業員が会社を辞めてしまった場合にも消滅させることはできないため、従業員に対して会社の株式を与えることは可能な限り避けた方がよいです。従業員に対してインセンティブを与えたい場合には、新株予約権(ストック・オプション)の付与を検討した方がよいと考えます。
なお、従業員持株会を設立して持株会を通じた株式の保有を認めるという方法も考えられますが、未上場企業の場合には従業員が辞めたときに持株会が株式を売却して現金で精算することが難しい場合も多く、やはり退社時の処理が困難であるという問題が残ります。
(3) 従業員を実際に雇い入れる際のチェックポイント
■労働条件通知書等を交付する。
従業員を雇い入れるにあたっては、賃金、労働時間その他一定の労働条件を書面によって明示することが義務付けられています(労働基準法第15条第1項)。労働条件を明示するための「労働条件通知書(雇入通知書)」については、厚生労働省や東京労働局のホームページからモデル書式をダウンロードすることができます。
なお、法律上は会社が従業員との間で契約書を作成することまでは義務付けられていませんが、契約関係が成立したことを明確にするために「雇用契約書」を作成しておくことが望ましいと考えられます。雇用契約書を作成した場合には、「労働条件通知書(雇入通知書)」ではなく、雇用契約書において上記のような労働条件を明示することでも問題ありません。
参考:様式集(東京労働局)
■「誓約書」を提出してもらう。
法律上の義務ではありませんが、従業員から、①職務上発生した知的財産権が会社に帰属する旨、②職務上知り得た情報の在籍中及び退職後の秘密保持義務などを内容とする「誓約書」を提出してもらった方がよいと考えます。
また、特にベンチャー企業は他社にはないアイディアや技術で勝負をしている会社も多いことから、③在籍中及び退職後の競業避止義務、④在籍中及び退職後に他の役職員に対して会社からの退職や他社への就業等を勧誘することの禁止などの条項を「誓約書」に設けることも多いです。ただし、このような条項は従業員の職業選択の自由を過度に制約するものである場合には無効と判断される可能性があるため、禁止の範囲や期間等を慎重に決定する必要があります。
なお、従業員との間で「雇用契約書」を作成する場合には、別途「誓約書」を作成するのではなく、「雇用契約書」において上記のような義務を規定しておくことでももちろん問題ありません。
■雇入れ時の健康診断を実施する又は医師による診断書の提出を受ける。
事業者は、「常時使用する労働者」を雇い入れる場合には、法が定める項目を満たした医師による健康診断を実施しなければなりません(労働安全衛生法第66条、労働安全衛生規則第43条)。「常時使用する労働者」とは、簡単にいえば労働時間が週30時間以上でかつ1年以上の雇用見込みのある従業員のことです(平19.10.1基発第1001016号)。
ただし、3ヶ月以内に法が定める項目を満たした医師による健康診断を受けた従業員から、その健康診断の結果を証明する書面の提出を受けた場合には、上記の健康診断を行う必要はありません(労働安全衛生規則第43条)。そのため、雇用にあたって従業員からこのような医師による診断書を提出してもらうことも考えられます。
参考:労働安全衛生法に基づく 健康診断を実施しましょう(厚生労働省・都道府県労働局・労働基準監督署)
(4) 社会保険等への加入に関するチェックポイント
■労災保険に加入する。
労災保険は、従業員が業務中や通勤途中にケガをした場合に使う保険です。この労災保険は、従業員を1人でも雇用したら加入しなければなりません。正社員やパート、アルバイトといった名称にかかわらず、基本的には従業員であれば誰でも対象になります。「パートやアルバイトだから労災保険には加入しなくてもよい」というのは大きな誤りです。従業員を雇用したら、必ず労働基準監督署で労災保険の加入手続きをしましょう。
■雇用保険に加入する。
雇用保険は、従業員が失業したときに所得保障の役割を果たす保険です。また、従業員が在職中に育児休業や介護休業をとったときにも所得保障の役割を果たします。この雇用保険は、原則として全ての従業員が加入対象ですが、労働時間や雇用形態等によって加入しなくてもよい適用除外者が決められています。パートやアルバイトであっても、この適用除外者に該当しない限りは雇用保険に加入させなければなりませんので注意が必要です。従業員が適用除外に該当するかどうかを確認して、加入対象者については漏れなくハローワークで加入手続きをしましょう。
参考:労災保険及び雇用保険の対象となる労働者の範囲(大阪労働局)
■社会保険に加入する。
社会保険とは、一般的には健康保険と厚生年金保険のことをいいます。健康保険は主に業務外のケガや病気の治療の際に使う保険です。厚生年金保険は主に老後の所得保障の役割を果たす保険です。この社会保険は、法人であれば代表者1人でも加入しなければなりません。また、原則として全ての従業員が加入対象ですが、雇用形態等によって加入しなくてもよい適用除外者が決められています。この適用除外に該当しない従業員は全て社会保険に加入させなければなりません。なお、パートやアルバイトについては、所定労働時間及び所定労働日数の一定基準を満たした場合に社会保険の適用対象になります。社会保険についても、従業員が適用除外に該当するかどうかなどを確認して、加入対象者については漏れなく年金事務所で加入手続をするようにしましょう。
弁護士 パートナー
今回のブロク記事は労務関係の内容であるため、弁護士と社会保険労務士の共同で作成しました。労働環境を整備して、従業員にとっても働きやすい職場を実現するために、ぜひ今回のチェックリストを活用して下さい。